PRESIDENT BLOG

2019.10.07 その他

とらわれない心

稲盛さんが『人間が一番強くなれる状態は執着から解脱した状態だ』と言ってられました。仏教では三毒というものが人間の心や身体を蝕むものになると言われています。三毒とは、貪瞋痴(とんじんち)です。

貧とは、自分が自分がとか、自分のもの、というように物事に執着する心です。それが手に入らないとき、失ったときの感情にとらわれることです。自己顕示欲のようなものもこれにはいります。人に良く思われたい、認めてもらいたい。その欲が自分の身を焦がします。

瞋とは、怒りです。例えば、過去に嫌なことがあり、それが怒りとなります。その人にしてみれば、その怒りを与えた対象の人に対して怒っているのですが、今現在は、別に危害を与えられているわけではない、にもかかわらず、その怒りをずっと自分の中で手放せなくなっている。これも執着です。

痴とは、物事の真理を理解せず、愚痴をいっていることです。この宇宙は、生きとし生けるものを進化発展しようとしていますが、それに反発をすればよくない状況を生みます。それを斜めにみてしまい、どうせ世の中はとか・・、この会社は・・とか、自分のことを棚に上げ愚痴ばかりいっています。

このような三毒が、人間の心身を傷めつける元なんです。

私の例でお話しすると、35歳で社長になったとき、父から引き継いだ会社は、瀕死の状況でした。社長になってみて、こんなこともできていないのか、と父を恨みまた、業界を恨み、世の中を恨み、愚痴ばかりいっていました。

他人の庭は良く見えるですが、お客様であるワインメーカーの社長の息子さんが親しかったのですが本当にうらやましく、なんでワインメーカーの息子に生まれなかったのかと生まれまで恨む始末。そうすると、経営状況は厳しいのでそのストレスと相まって、身体にも変調をきたすようになってきました。

大腸ポリープも2年連続でひっかかり、毎日蕁麻疹が全身にでたりとか・・身体だけでなく心もボロボロで、家に帰ったら、もう疲れきっていて何もできない状態です。

ところが、そのような厳しい状況が自分を仕事に集中し没頭せざる得ない状況に追い込まれたことが自分の執着をなくしてくれました。

愚痴を言っていても仕方ない、結果を出すしかないということで、余計なことを考えなくなったからだと思います。しばらくして、どのように言い訳したところで、会社で起こること、例えば、社員が不始末を起こしたとしても、自分が全て責任を負わないといけない、例え、父がしたことでも、自分が受け入れなければならないと気づきました。

そして社長という立場をしばらくすることで、父や祖父が自分に与えてくれたものに気づくようになりました。例えば資産があるとか、株を自分に集中してくれていたとか愛情とかです。そうすると、感謝の心が生まれ、それから愚痴は一切でなくなりました。

不思議なことに、その頃から、病気はなくなり、疲れもなくなり充実感がでて仕事はいくらしても全く疲れなくなりました。仕事時間は凄く増えていたにも関わらず・・

その後、自分の中の理想ができ、(この理想と執着は違います)その理想を実現するために、自分の欲を犠牲にしてきました。そこでも、自分というものが削られ、とらわれがなくなってきた気がします。

私たちは、知らず知らずに三毒におかされています。

その三毒は、間接的には他人が与えたものかもしれませんが、直接的には自分の心が自分の心身にダメージを与えています。お釈迦様が『自分をよく守れ』とおっしゃっていますが、これは、自分から自分を守れという意味だと思います。

自分の最大の敵は自分です。その敵から自分を守るためにすることがとらわれ(執着)をなくすことなんです。