PRESIDENT BLOG

2025.12.01 その他

意志と執着

意志と執着というのは、似ているようで、全く違うものです。むしろ、逆と言ってもいいのかなと思います。

では、何が違うのか?執着というのが自己本位であるのに対して、意志というのは世の為人の為という良心から発しているということです。例えば、ストーカー行為というのは、完全に執着ですよね。相手の迷惑を全然考えないし、これが行き過ぎると大変怖いものになります。

いつもお話ししますが、人間には本能心という心があり、それは太古の昔から、自分の命を守る為に神が人間に与えてくれたものだと思います。だから、これ自体は必要なことなんですが、この本能心に執着することで、それが嫉妬、怒り、妬み、奢りに変化し、人間を不幸にしていきます。ストーカーも元をただせばそういうことです。

しかし、これもいつも言いますが、一方で人間には美しい世の為、人の為という良心があります。本能心をコントロールできるのは、良心からでている、この意志だけです。

経営で考えてみましょうか?
お金がほしいために事業で努力をしていたとします。これは自己本位ですよね。社員にも「自分はお金がほしい、成功すればお前たちのもお金をあげるから」とします。

はじめはそれでもいいかもしれませんが、ある程度お金が入って贅沢を覚えれば、もっとお金がほしいとなりますし、贅沢をおぼえれば、仕事も疎かになります。だって、お金がほしいというのも自己本位の本能心ですし贅沢したい、さぼりたいというのも自己本位の本能心なので、その時々で、常に一定した努力をしないんですよ。モチベーションが続かないというか・・

それだけでなく、社員との関係も、損得なので、自分が贅沢を覚え、社員が自分程働いてないと思うわけですから、社員よりも自分がもらって当たり前となり、社員はそう思ってないわけですから、摩擦となり、社員もお金、私欲での結びつきなので、条件がいいところにとっとと転職します。悪循環というやつですね。そういう会社もよく見られると思います。

一方で、世の為人の為という理想をもって、意志の力で、自己本位をコントロールしている場合、類は友を呼ぶで、社員も同じような気持ちですから、お互いがお互いを思いやり、それはお客様や世の中にも貢献しようとするので、周囲からも応援されるわけです。

また、世の為人の為とすると、もっと社員の給与を上げてあげたい、もっとお客様のために貢献したいと思うわけですから努力も止むことがないんですよね。こうやって考えると、なぜ、意志の力は運命を切り拓き、執着は不幸を呼び寄せるのか?それは、人間がそのように設計されているからだと思います。

だって、これは古今東西変わらないので、真理だと考えた方がいいと思いじゃないですか。つまり、私は、世の為人の為という理想を描きそれを意志の力でその理想を絶対に変えない。また、その理想に向かう中で執着から解脱し、できるだけ自己本位にならないようにするということは人間の幸せにつながっていると考えています。

もし、自分の環境が不幸だという人がいたら、この意志と執着という観点から自分を内観してもいいのかなと思います。恐らく、間違った自己本位の執着を持っている可能性が高いと思っています。