PRESIDENT BLOG
「経営とは経営者の器通りになる」と稲盛さんがよくいっていました。私は、その器とは、理想の大きさだとずっと思っていました。例えば、稲盛さんは、まだ、中小零細の会社の頃から、「世界一になる」とおっしゃっていたらしいです。
では、自分にそれが言えるか?というと、口が裂けても言えないわけです。真面目な性格でもあるので。もし、それをしようとすると、自分もそうですが、社員にも、それこそ、相当な負荷をかけないといけない。だから、無意識に自分を抑制しているんだろうと思います。
そして、一時期、そういうことで悩んだこともありましたが、今は、自分が描ける最大の理想でいいと思っています。他人と比較するものでもないですし。だから、理想の大きさが器というのは、一つ正しいと思っています。
しかし、ある方がお話しされていて、確かにそうだなと思ってもう一つあると最近思いました。それは、困難や失敗、誘惑のときの振舞いで決まるということです。
人生とは、困難とか誘惑にどう対処するか?ということで決まってくると思います。だから理想とも、これは関係していて、理想が高い方が低劣な自我を抑制できるので、困難や誘惑に打ち勝ちやすくなるのですが、でも、これもこの理想を貫けるか?つまり、困難や誘惑に常に打ち克てるか?ということが、問われるわけです。
確かにそうですね。私たちが、人を尊敬するのは、理想を掲げ、それをあらゆる困難や誘惑に打ち克ってきた人です。理想は言うが、誘惑に克てず、特に晩年、醜態をさらす人もあると、今までの、実績もすべてチャラどころかマイナスになります。
そういう意味では、理想が高ければ高いほど、人生というのは厳しいものだと思います。なぜ、困難や誘惑に負けてしまうのか?それは性格ではないですね。日々の振舞いで決まってくると思っています。
私の経営者友達もよく言うのですが、「個人で使った呑み屋の領収書を会社の金で落とす。このような小さい誘惑に勝てない人が、人生において、数千万、数億の誘惑がある試練に勝てるはずがない」と。
本当にそうだと思います。だから、経営者の器とは、自分が気高い理想を描くと同時に、それをするための日々の一切の誘惑に打ち克ち、必ず起こるであろう困難にも挫けない。日々の誘惑に負けてないから困難のときにも負けないということだと思います。
私も、決断において、これをすれば、自分個人が数千万、へたをすると数億円変わるかもしれないというときに遭遇しました。しかし、その時も、正しい道を選べたと思います。
それは、日々のルールを破るなどの、日々の選択で負けてないから、自分はやましいところはないという自信があるからだと思います。だからほんの少しだからいいかという誘惑が一番怖いと私は思っています。