PRESIDENT BLOG

2022.07.04 シュンビンのこと

自分の会社ではない

上場の準備をする中で、金融機関の個人保証をはずすということもしてきています。これをすることで、後継の社長が誰であれ、個人保証は、今後、必要なくなります。会社として、より、仕組みが整ったことになります。

私も、肩の荷がおりた部分もありますが、同時に、この会社が、自分のものではなくなっていくんだなと、自分でした判断ですが、複雑な気持ちです。弊社も、元々、個人企業の延長線でやっています。そこでは、建前上の有限責任ではない世界があります。金融機関は個人保証をしないとお金は貸してくれませんし、もし、なにかあれば容赦なく全財産が取られていく、昔の言葉ではお茶碗ひとつも残らないとか。それだけでなく保証した借金があれば、それを逃げない限り、払っていかないといけません。そして、倒産した会社の社長の家庭は、ほぼ間違いなく、離婚し、家庭は崩壊します。これは生き地獄ですね。そのような恐怖が常にあるのが中小企業の経営者だと思います。だからこそ、かまどの灰まで自分のものだという経営者もいるのかなと思います。

私の場合は、戦後の教育もあり、会社が危機だって皆に協力してほしいというのもあり、本来は個人企業の延長でもあるにも関わらず、会社をオフィシャルなものだというふうに早くから経営してきました。全責任を負いながら。業種も、どんどんクリエイティブなほうにいっていましたので、社員をモチベートしていくのは、その方が楽な道だったかもしれません。私の家のものとしていたら、多分、今のシュンビンはないと思います。

でも、これは日本の99%を占める中小企業が皆が抱えている問題かもしれないなと思います。このように高度化された世の中で、家業に入社したいという人は基本少ないんじゃないですかね?そう考えると、社会の変化にともなって個人企業からパブリックな企業にしていく、そういう施策がもっと必要なのかもしれません。日本社会の停滞の原因に、そのようなこともあるのかなと思います。

これは、責任がまったくなくなったということではないです。もちろん、会社に対しての無限大の責任感は今でも持っています。社員の生活を守りたいというのは、年々強くなっています。新しい若い方がはいってくるので。ただ、それが執着になってしまっては、組織にとっての害に私自身がなってしまいます。私にとっては会社は子供のようなものなので、子供に迷惑だけはかけたくないというのが親心ですし、やはり、自立してほしいということだと思います。

会社としての組織をパブリックなものにして、私に依存しない会社にしていく、そのことで、社員が私がいなくても未来を見えていけるようにしないといけません。

『「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。』という言葉をブッタは残しています。「わたしには会社がある。」会社に命を懸けてきた自分にとってこれは強烈な執着ですが、執着からの解脱をしないといけませんね。執着からの解脱が人間を最も強くすると学んでいます。